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広島高等裁判所 昭和41年(行コ)11号 判決 1970年6月17日

広島市加古町三番二〇号

第一一号事件控訴人

第一二号事件被控訴人(一審原告)

株式会社ホソダ

(旧商号 株式会社細田商店)

右代表者代表取締役

細田正造

右訴訟代理人弁護士

神田昭二

広島市基町一番地

第一一号事件被控訴人

第一二号事件控訴人(一審被告)

広島国税局長

大塚俊二

右指定代理人検事

村重慶一

法務事務官 池田博美

同 赤木誠一

大蔵事務官 三宅正行

同 吉富正輝

同 岸田雄三

同 常本一三

同 広光喜久蔵

右当事者間の法人税更正決定等取消請求各控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一審原告の控訴を棄却する。

一審被告の控訴に基づき、原判決を次のように変更する。

一審原告の昭和三四年四月一日から昭和三五年三月三一日までの事業年度の法人税に係る広島西税務署長の昭和三六年三月二九日付更正決定に対する審査請求を棄却した一審被告の同年一二月一八日付決定は、所得金額六六三万〇、七二九円を超える部分に限りこれを取り消す。

一審原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を一審被告の負担とし、その余を一審原告の負担とする。

事実

一審原告代理人は「(一)原判決を次のように変更する。一審被告が一審原告に対し、昭和三六年一二月一八日付広協第八〇五号をもつてなした、一審原告の昭和三四年四月一日から昭和三五年三月三一日までの事業年度分法人税更正決定に対するみなす審査請求を棄却する決定は、これを取り消す。(二)一審被告の控訴を棄却する。(三)訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決を求め(原審における請求を上記のとおり減縮)、一審被告代理人は「(一)原判決中一審原告の請求を認容した部分を取り消す。一審原告の請求を棄却する。(二)一審原告の控訴を棄却する。(三)訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、左記一ないし三のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。なお、以下「一審原告」「一審被告」を単に「原告」「被告」と称する。

一、被告の主張

(一)  本件の主な争点は、渡辺洵子名義の定期預金二五万円、無記名定期預金七〇万円、投資信託一二〇万円のいわゆる簿外資産が、売上脱漏といえるかどうかである。

本件の場合、簿外資産と納税者の営業との関連を積極的に明らかにする資料はないが、次のような間接事実によつて売上脱漏によることを推認することができる。すなわち、(1)原告会社は個人商店とあまり変らない同族会社であつて、代表者がその実権を有するから、同人が売上収入金を除外して簿外金を作り出すことは容易な状況にあつた。(2)本件簿外資産は、原告会社代表者が現実に支配操作していた。(3)本件簿外資産について原告会社は種々弁解しているが、それを慮付ける客観的資料に乏しく、しかもその弁解は段々と変つている。(4)原告会社は、係争年度前の昭和三二年二月頃山口銀行広島支店に沢野神三(架空)名義の普通預金を有していたが、その頃これを解約し、山野美恵子(架空)名義の普通預金とし、右簿外預金から仕入代金を支払う等の操作をし、昭和三三年三月頃から神戸銀行広島支店に預金口座を移す等の事例があり、昭和三四年一二月二三日青色申告承認取消の処分を受け、また、係争年度の翌年度分についても、吉田正一名義の投資信託、清川政敏名義の定期預金が売上除外金であるとの更正処分を受け、いずれも確定している。(5)他の収入から簿外資産の入金状況に適合するものは見当らない。

(二)  専務取締役中村正、常務取締役佃五二に対する役員賞与三万円は、次のような理由から、損金に計上すべきものではない。

中村正は、原告会社の代表者である細田正造とともに、もと訴外広島海産物株式会社に勤務していたが、原告会社を設立すべく訴外会社を退社し、それぞれ発起人となり、出資して原告会社を設立し、佃五二はその後増資に際し原告会社に出資して常務取締役となつたものであり、原告会社が細田正造を中心とする同族会社であるとしても、中村、佃の両名は、株主であり、かつ設立ないし増資以来の取締役(いわゆる出資重役)である。そして、原告会社の定款によると、「専務取締役は、社長を補佐し社務を専行し、社長故障があるときはその職務を代行する。常務取締役は、社長および専務取締役を補佐して会社常務を執行する。」と規定され、専務取締役、常務取締役は、いずれも一般の取締役とは違つていて、会社の業務執行機関であり、常勤役員である。中村および佃はそれぞれ専務取締役、常務取締役として、原告会社の業務執行に関与し、その運営に参画しており、原告会社が金融機関から資金を借り入れるについて、右両名が同会社の連帯保証人となつた事実もある。

一般に、会社の代表取締役又は専務、常務取締役は、会社の代表権又は業務執行権を有するものであり、業務執行権を有する役員は、その職務の性質上会社を運営(経営)する立場にあつて、会社の使用人とはなりえないものであり、事実上使用人と同様の職務に従事していたとしても、それを使用人の職務の遂行とはみられないものである。

企業会計においても、役員賞与金は損益計算上の費用ではなく、利益処分項目とされている。旧法人税法施行規則第一〇条の三第六項第一号、第一〇条の四は、昭和三四年政令八六号により追加された規定であるが、これは従前から損金の内容として理解されていたことを実定法規の上で明暸にするために確認規定を設けたのにすぎないのである。

二、原告の主張

(一)  被告は、本件係争の定期預金および投資信託が売上脱漏であるというが原告会社においては厳重な伝票。帳簿組織がとられており、帳事務は四人の経理事務員が分担し、総勘定元帳まで全部の手続が終了した後に原告会社代表者の検閲を受けていた実情であり、被告のいうように売上金から二二〇万円もの大金を抜いて簿外金を作り出すことは、絶対に不可能である。

(二)  被告は、原告会社が昭和三二年に架空名義の普通預金をしていた事例があるというが、本件とは無関係である。右預金は、原告会社代表者が会社設立前から有していた個人財産であつて、会社の運転資金が不足した際右預金のうちから会社に貸与し、運転資金に余裕ができると返還を受けていたものであつて、売上を脱漏したものではない。

また、係争年度の翌年度における吉田正一名義の投資信託は原告会社の全く関知しないものであり、清川政敏名義の定期預金は本件同様中井信臣から昭和三五年九月頃保証金として預かつたものであつて、売上を脱漏したものではない。

三、証拠関係

(一)原告代理人は、甲第一六号証、第一七号証の一ないし三、第一八、第一九号証を提出し、当審証人三王満穂、同中井信臣臣、同高市茂の各証言、当審における原告代表者本人の供述を援用し、後記(二)の乙各号証のうち、乙第三三号証、第三四号証の一、第三五号証、第四〇号証、第四六号証の成立は認めるが、その余の成立は不知と述べた。

(二)  被告代理人は、乙第三三号証、第三四号証の一ないし五、第三五ないし第四三号証、第四四号証の一ないし三、第四五号証の一、二、第四六号証を提出し、当審証人岩崎次登の証言を援用し、甲第一六号証の原本の存在及び成立、甲第一七号証の一ないし三第一九号証の成立は認めるが、甲第一八号証の成立は不知と述べた。

理由

一、原判決摘示の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争いがない。そして、原告の昭和三四年度所得金額算出の基礎となる事項については、原判決別表(一)記載のとおり、利益の部において売上二一五万円及び受入利息七、二〇三円、損失の部において営業費三万円及び貸倒償却費四二万七、八七八円につき争いがあるほか、その余の事項については当事者間に争いがない。

二、そこで、右争いのある事項について、順次判断する。

(一)  無記名定期預金七〇万円について

原審及び当審における原告代表者本人の供述に本件弁論の全趣旨を合わせると原告会社は昭和三五年一月二六日頃広島銀行舟人支店に七〇万円の無記名定期預金をしたこと、右定期預金については原告会社の帳簿になんらの記載もなされていないことが認められる。

原告は、右定期預金はその頃鰛網商店から取引保証金及び同商店が倒産整理の事態となつた場合の再起資金として預かつた七〇万円を前記銀行に預け入れたものである旨主張し、原審及び当審における証人三王満穂の証言及び原告代表者本人の供述中には右主張に沿う部分がある。しかし、鰛網商店と原告会社との間の右金員預託の事実を明らかにすべき帳簿、証書等の資料はない。この点について前記三王証人及び原告代表者本人は、右金員預託の事実を他の取引先に知られたくないとの考慮から、これを帳簿に記載せず、預り証等も作成しなかつた旨述べているが、そのような考慮があつたにせよ、右金員は形して少額とはいえず、その預託関係は相当長期間継続すべきものである点などを考えると、それについて事項を全然作成しなかつたということは理解し難いところである。また、成立に争いのない甲第三号証の三、乙第三号証の二、前記三王証人の証言、原告代表者本人の供述によると、昭和三四年頃から昭和三五年一月頃にかけての原告会社の鰛網商店に対する売掛金残高は受取手形の未決済分を含めて四〇万円前後であつたこと、昭和三四、三五年当時鰛網商店はその経営が著しく不振で、資金繰りに苦しんでおり、昭和三五年七月倒産するに至つたことが認められ、右認定の事実関係に徴すると、原告会社に預託したという前記七〇万円は取引保証金としては当時の売掛金残高に照して多額にすぎるし、倒産整理の事態となつた場合には、その預託金額から原告会社の債権額を控除した残額は他の債権者に対する弁済に充てられるべきものであつて、鰛網商店の再起資金とはなりえないのであるから、その場合の再起資金の意味を含めて右のような多額の金員を預託するということは考え難いところであり、更に、当時鰛網商店にそれだけの金員を支出する余力があつたかどうかも極めて疑しいといわなければならない。もつとも、前記三王証人及び原告代表者本人は、昭和三六年一月二六日原告会社が前記定期預金の払戻しを受け、その元利金から鰛網商店に対する売掛金残高を控除した残額三五万円余を同商店に返還した旨の供述をしており、甲第五号証、第一六号証は右供述を裏付けるもののようであるが、他方、成立に争いのない乙第二号証、原審証人倉田正弘の証言によると、所轄の広島西税務署が、昭和三五年一二月一五日頃原告会社の預金につき銀行調査を行なつた結果前記定期預金の存在を知り、昭和三六年一月一九日原告会社代表者から同会社の法人調査に関し事情聴収をしたことが認められるので、その後に作成された甲第五号証をもつて、前記残額返還の事実についての的確な証拠とはなし難い。以上の諸点にかんがみると、原審及び当審における三王証人の証言及び原告代表者本人の供述のうち、前記定期預金が鰛網商店からの預託金を預け入れたものであるとの原告主張に沿う部分は措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。そして、前記定期預金の資金源につき他に別段の主張立証のないことその他本件弁論の全趣旨に徴すると、前記定期預金は原告会社の本件事業年度における簿外売上金の一部が預け入れられたものと推認するのが相当であつて、原審証人広川春子の証言、右証言により成立の認められる甲第一〇ないし第一五号証(枝番号のあるものを含む)は右推認を覆えすに足りず、他に右推認を覆えすべき証拠はない。

(二)  渡辺洵子名義の定期預金元利金二五万七、二〇三円について

成立に争いのない乙第四号証の一ないし四、原審及び当審における原告代表者本人の供述によると、原告会社は昭和三四年六月二九日広島銀行舟入支店に架空人である渡辺洵子の名義で二五万円の定期預金をし、昭和三五年一月六日右預金の元本にその利息七、二〇三円を加えて書換継続をしたこと、右定期預金については原告会社の帳簿になんらの記載もなされていないことが認められる。

原告は、右定期預金はその頃中井信臣商店から取引保証金として預かつた二五万円を前記銀行に預け入れたものであると主張し、原審及び当審における証人中井信臣の証言及び原告代表者本人の供述中には右主張に沿う部分がある。しかし、中井信臣商店と原告会社との間の右金員預託の事実を明らかにすべき帳簿、証書等の資料はない。この点について前記中井証人及び原告代表者本人は、右金員預託の事実を他の取引先に知られたくないとの考慮から、これを帳簿に記載せず、預り証等も作成しなかつた旨述べているが、そのような措置は前記(一)で述べたのと同様の理由により理解し難いところである。また、取引保証金として預託を受けたのであれば、それを銀行に預け入れるに当り架空名義を用いる必要があつたとは考えられない。更に、成立に争いのない乙第三号証の四、五、第五号証の一ないし三、原審証人中村角太郎の証言、前記中井証人の証言及び原告代表者本人の供述によると、中井信臣商店は昭和三五年一一月頃倒産し、債権者会議で選ばれた清算委員らがその清算に当ることとなり、原告会社代表者細田正造もその一員となつたところ、原告会社はその債権の届出をなすに当り、前記二五万円を控除することなく、同商店に対する売掛金残高五九万三、八四三円全額を同会社の債権として届け出たこと、右清算の結果昭和三六年四月二〇日頃各債権者に対し約一、〇〇〇分の二九七の割合で配当が行なわれたが、原告会社も右の割合により前記届出債権額に基づく一七万六、三七二円の配当金を受預したことが認められる(原告代表者本人の供述によると、原告会社は中井信臣商店から、前記二五万円のほか、昭和三五年九月頃にも保証金として二五万円を預かつたというのであるから、右供述のとおりであるとすると、それらの保証金と前記配当金との合計額は前記売掛金残高を超えることとなり、少なくともその剰余額は中井信臣商店に返還されるべきであるのに、その返還がなされた形跡はなく、原告会社の帳簿-乙第二六、第二七号証-では右剰余金相当額が雑収入として処理されている。以上の諸点にかんがみると、原審及び当審における中井証人の証言及び原告代表者本人の供述のうち、前記定期預金が中井信臣商店からの預託金を預け入れたものであるとの原告主張に沿う部分は措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そして、前記定期預金の資金源につき他に別段の主張立証のないことその他本件弁論の全趣旨に徴すると、前記定期預金は、原告会社の本件事業年度における簿外売上金の一部が預け入れられたものと推認するのが相当であつて、前記広川証人の証言、甲第一〇ないし第一五号証(枝番号のあるものを含む)は右推認を覆えすに足りず、他に右推認を覆えすべき証拠はない。してみると、右定期預金につき生じた前記七、二〇三円の利息も、原告会社の本件事業年度における益金と認められる。

(三)  大商証券投資信託一二〇万円について

成立に争いのない乙第三号証の九、一二ないし一五、原審及び当審における原告代表者本人の供述によると、原告会社の代表取締役である細田正造は個人名義で、原判決別表(二)記載のとおり、昭和三四年八月一八日から同三五年四月一五日までの間五回にわたり大商証券株式会社広島支店から合計一二〇万円の証券投資信託受益証券を買い入れたことが認められる。

原告は、右受益証券は細田が松山市在住の高市茂から依頼されて同人の資金で買い入れたものであると主張し、原審及び当審における証人高市茂の証言及び原告代表者本人の供述中には右主張に沿う部分がある。しかし、松山市在住の高市が投資信託受益証券を買い入れるのに、ことさら広島市在住の細田に依頼し同市の証券会社支店から買い入れるという方法をとつた理由について、右の証言や供述から納得するに足りる説明は得られず、また高市が右受益証券を買い入れた資金の出所やその売却により得た金員の使途についての高市証人の証言には不明確な点が多く、その真実性を裏付けるべき資料もない。更に、成立に争いのない乙第六号証によると原告は、広島西税務署長の本件更正決定に対し昭和三六年四月一三日再調査の請求をした段階においては、本件訴訟における主張と異なり、前記受益証券の買入れが原告会社代表者細田の全然関知しないものであつて、同姓同名人か又は故意に同人の名義を使用した他人の行為と推定せざるを得ないとの主張をしていたことが認められる。以上の諸点にかんがみると、原審及び当審における高市証人の証言及び原告代表者本人の供述中、前記受益証券が高市の依頼により同人の資金で買い入れたものであるとの原告主張に沿う部分は措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。そして、前記受益証券買入れの資金源につき他に別段の主張立証のないことその他本件弁論の全趣旨に徴すると、前記受益証落は原告会社の本件事業年度における簿外売上金の一部で買い入れられたものと推認するのが相当であつて、前記広川証人の証言、甲第一〇ないし第一五号証(枝番号のあるものを含む)は右推認を覆えすに足りず、他に右推認を覆えすべき証拠はない。なお、昭和三五年四月一五日買入れの五〇万円の受益証券については、その代金が本件事業年度終了後に支出されたものであるが、原審における原告代表者本人の供述によると、原告会社における売上金回収期間は平均四五日前後であつたことが認められるので、本件事業年度中に権利の発生した売上金が右買入資金に充てられたものと認めるのが相当である。

(四)  役員賞与、三万円について

成立に争いのない乙第一号証の一、原審証人中村正、同佃五二の各証言、原審及び当審における原告代表者本人の供述によると、原告会社はもと細田正造の個人経営であつた水産加工物の問屋営業を昭和二六年頃会社組織にしたものであつて、設立以来細田正造が代表取締役社長としてその経営に当つていること、本件事業年度当時、原告会社の従業員は一五、六名前後で、中村正及び佃五二は同会社の取締役であり、中村は専務、佃は常務と呼ばれていたものの、実際には同会社の経営の実権は専ら細田正造の掌握するところであつて、中村、佃の両名が業務執行に参画する程度は極めて少なく、ほとんど使用人として細田の指示に従い販売の業務に携わつていたものであり、本件賞与も他の従業員と同じ率により右両名に対し各一万五、〇〇〇円が支給されたものであること、右両名が原告会社の株式の一部につき株主とされたことはあるが、それは単に名義上のものにすぎず、同会社の株式はすべて細田の所有であつたことが認められる。原審証人管川丈夫の証言中右認定に反する部分は採用し難く、成立に争いのない乙第三四号証の一、第三五号証、第四六号証、当審証人岩崎次登の証言により成立を認める乙第四四号証の一ないし三、第四五号証の一、二は右認定を左右するに足りず、他に右認定を左右すべき証拠はない。してみると、本件賞与の支給は利益分配の性質を有するものではなく、右両名が原告会社の使用人としてその職務に従事したことに対する対価として、法人所得の計算上損金に算入されるべきものと解するのが相当である。

もつとも、法人税法施行規則(昭和二二年勅令第一一一号、昭和三四年政令第八六号による改正後のもの)第一〇条の三第六項第一号、第一〇条の四によると、専務取締役や常務取締役が使用人としての職務を併せ有することは認められず、従つてこれに対する賞与を損失に算入することはできないものとされている。しかしながら、右規定は、一般に専務取締役や常務取締役は定款等の定めるところにより会社の常務に属する事項につき業務執行の権限を付与された者であることに着目した規定であつて、、原告会社の定款(乙第三三号証)にもそのような専務取締役及び常務取締役の権限が定められているけれども、中村正及び佃五二の原告会社における地位ないし権限の実態は前に認定したとおりであつて、専務取締役又は常務取締役というのは呼称上のことにすぎず、右両名が前記施行規則や定款が予定しているような専務取締役又は常務取締役に該当するものとは認められないから、同規則第一〇条の三第六項第一号の適用を受けないものと解するのが相当である。

(五)  松下商店に対する貸倒金四二万七、八七八円について

成立に争いのない甲第六、第七、第八号証の各二、原審における原告代表者本人の供述により成立を認める甲第九号証、原審証人森下雪子の証言、右原告代表者本人の供述によると、原告会社社は森下計三に対し昭和三四年四月現在九六万七、八七八円の売掛金債権を有していたが、昭和三三五年三月二四日右債権を放棄する旨の意思表示をしたことが認められる。しかしながら、右証言言及び供述(後記措信しない部分を除く)に、成立に争いのない乙第三号証の一七、一八、第一四、第一五号証、原審証人田原広の証言により成立を認める乙第一〇ないし第一三号証、同証言を合わせると、森下計三は昭和三三年三月頃倒産状態となつたが、その後も原告会社の管理の下に昭和三七年一一月頃まで営業を継続したこと、昭和三三年三月末頃原告会社は前記売掛金債権の担保のため森下計三からその所有の不動産に債権額を一〇〇万円とする抵当権の設定を受け、その登記を経たこと、右不動産は昭和三七年末頃少なくとも一五〇万円の価額を有したことが認められ、前記森下証人の証言及び原告会社代表者本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定の事実に徴すると、原告会社の前記売掛金債権が回収不能にあつたものは認められないから、原告会社が右債権を放棄しても、その一部である原告主張の四二万七、八七八円を貸倒損失として損金に算入することは許されないものというべきである。

三、以上判示したところによると、原告会社の本件事業年度における所得は、総益金二億一、二〇八万七、四〇三円から総損金二億〇、五四五万六、六七四円を控除した残額六六三万〇、七二九円となる。従つて、原告会社の本件事業年度に係る法人税につきその所得金額を六六六万〇、七〇〇円とする広島西税務署長の昭和三六年三月二九日付更正決定に対する審査請求を棄却した被告の同年一二月一八日付決定は、その所得金額六六三万〇、七二九円を超える部分に限り違法として取り消すべきであり、原告の本訴請求は右の限度で認容すべきであるが、その余は棄却を免れない。

原判決は右と一部趣旨を異にしており、原告の控訴は失当として棄却すべきであるが、被告の控訴は一部理由があるから、原判決を右判示のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村岡二郎 裁判長裁判官辻川利正、裁判官丸山明はいずれも転任につき署名押印することができない。裁判官 村岡二郎)

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